ご存知ですか


【2019/10/24掲載】

★日本初の美人コンテスト1位は・・・

野津弘子様(旧姓 末広) (明治43高女旧)

末広弘子様は、明治26年(1893)5月20日生は、福岡県小倉市長・末弘直方の四女として生まれる。明治41(1908)年3月(満15才)、女子学習院3年生のとき、日本初の全国的ミスコンテストとされる時事新報社主催「日本美人写真募集」において第1位となる。このことが学習院院長の乃木希典の怒りにふれ退学処分となる。この件は、弘子の義兄が勝手に写真を応募した事実が後にわかった。乃木院長は弘子を退学処分としたことは間違いであったと思い直し、中退者となった弘子のために、よい縁談を探すのが一番良い方法だと考えた。学習院退学後、のちに貴族院議員となる野津鎮之助(侯爵、陸軍大将・野津道貫の長男)と結婚、3人の娘をもうける。
昭和38年(1963)年3月18日没。
<編注>弘子様のお名前の表記は、桜友会会員名簿に従いました。

★「元祖スーパーモデル」は・・・

薩摩千代子様(旧姓 山田) (大正14高女旧)

山田英夫伯爵の令嬢・千代子様、明治40(1907)年生。大正14年(1925)年女子学習院をご卒業され、翌年明治の大富豪の家に生まれた薩摩治郎八(1901~1976)と結婚しパリへ。仏ファッション誌「ヴォーグ」に何度も登場し「元祖スーパーモデル」となり、藤田嗣治に「お人形」と呼ばれ、パリ社交界の華となった。
しかし昭和5年(1930)の暮れ、薩摩千代子様は結核を発病し、アルプスのサナトリュウムで療養生活を送ることとなる。昭和24年(1949)没。