カナダ横断・自動車旅行記


【2019/07/22掲載】

バンクーバー桜友会 阿蘇済一(昭38政経)

日 時:2019年6月5日(水)―6月16日(日)11日間。
行 程:カナダ・ケベック州モントリオールからBC 州バンクーバーまで、車で踏破。
総走行距離:6,680km
メンバー:日本から3名、シアトルから2名、合計5名。内運転は3名。平均年齢80才。

6月5日(水):ケベック州モントリオールは古い町並みを残した瀟洒な町並みである。10時にホリデイ・イン集合。直ぐに日本食料購入に行くがあまり良い店無く韓国・中国の商品と一緒に販売されている、道中の食料少々購入。日本人在留者は少数とみる。街の交通標識もフランス語が先に記載、英語がその後に記載してある。ホテルでチップを渡したら“メルシーボクー”とのことで面喰い改めてここはフランス語圏だと認識した次第、西海岸の街とはだいぶ様相が違う。昼食は空港で済ませ吉田氏出迎え飛行場でレンタカー借りる。15時モントリオール出発。いざオンタリオ州カナダ最大の都トロントに向け一路401号線をひた走る。左手にセント・ローレンス川、途中から5大湖の一つであるオンタリオ湖を見ながら100㎞/時間にて慎重に運転。途中はトイレ休みだけで走ること8時間、22時30分トロント郊外のダーリントン町に到着・宿泊。寿司弁当購入し車内で夕食。走行距離約800㎞。交通安全のお守りを前面窓に取り付け無事を祈る。レンタカーはクライスラー社のダッジ・グランドの新車7人乗りのミニバン。カーナビの操作が難しく止む無く吉田氏の携帯にナビは頼る。

6月6日(木):オンタリオ州ダーリントン発10時ナイアガラ滝見物。観光客特にアジア系多多。我々5人ともナイアガラは数回訪れており、遊歩道から見物。眼下の遊覧船は滝つぼ傍迄観光客を案内、借レインコートでも観客は相当飛沫をかぶる。同滝はアメリカ滝とカナダ滝に分かれており、カナダ滝が水量も多く大きい。滝落差56メートル、滝横幅675ḿ (アメリカ滝330ḿ)、水量毎秒5,500㎥。轟音とともに雪解けの水が一挙に落下するのは超豪快な眺めである。これだけの大量水が数千万年に亘り流れ落ちていて、上の湖は水枯渇することないのか不思議に思う次第。後刻この疑問も氷解する。カナダ滝の遊歩道を歩いたが滝からかなり離れても、飛沫で相当濡れる。いつ見ても雄大な眺めである。ナイアガラは新婚旅行のメッカであり、後背のナイアガラ市街はキンキラキンの若者向けの店が多い。昼にナイアガラ出発、次の宿泊地ソール・セント・マリーへ向かう。途中は左手にヒューオン湖を見ながら走る、景色は素晴らしく途中で数か所止めて写真撮影と運転手交代。夕食は街道筋の中華料理店、味は旨くない。五大湖のミシガン湖は米国に属すが後の4湖は全て丁度湖の真ん中が米・加の国境線となっている。ソール・セント・マリー22時半到着、宿泊。走行距離約700㎞。

6月7日(金)ソール・セント・マリー発9時。五大湖最大スペリオル湖北岸17号線サンダーベイへ向け出発。左手にスペリオル湖、右側は湖沼に囲まれた低い丘陵地帯を行く。道路脇は全て岩石でこれを崩してハイウェイの下に敷きその上をコンクリートで舗装している、実に快適な道路である。岩は赤・青・白・茶・灰色と日本に持っていけば素晴らしい庭石になること確実である。景色も良く快適。途中数か所で止まり写真撮影、運転手交代、湖見物、昼食などする。湖岸からは水が湧いており素晴らしい景色で地平線は空の青と水の青さが混然となっており両方の区別ができない。たまたま老齢の白人女性に会い話してみるとシアトルから一人旅でVW のバンを運転し、ロスアンジェルス・マイアミ・米国東海岸・カナダ東海岸を旅行中で3月28日にシアトル出発、既に13,000㎞とのこと。夫を亡くし一人長旅しておりアメリカ人の一面を垣間見た気がした。サンダースベイ18時到着、宿泊。約700㎞走る。時差1時間調整。美味いものないが量が多くて閉口。食事が楽しみでか体格のいい女性が多い。スペリオル湖は大きくて8時間で約1/3の北岸を走行したが対岸も見えない巨大湖で計り知れない。

6月8日(土)オンタリオ州サンダーズベイ発9時半。マニトバ州ウィニペッグに向かう。トランスカナダハイウェイを西に向け走る。2車線の高速分離道路で日本からの寺さんにも運転お願いする。景色はあまり変化が無くなり道の両側とも湖沼が続く、思うに冬季は北のハドソン湾からの雨雲が大量の降雪をカナダ北部全州にもたらしその結果湖沼・湿地帯が出来て大きな水瓶となり、五大湖に流れ込むことが理解できた。
従ってナイアガラの滝もエリー湖からオンタリオ湖への瀑流が未来永劫に継続すること納得した。マニトバ州に入ると更に時差調整、これでモントリオールから時差2時間調整した。マニトバ州の大都市ウィユニペッグは昔は米国のシカゴと張り合うほど繁栄したと聞くが現在では静かな田舎の大都会である。同市周辺はカナダの穀倉地帯で小麦・トウモロコシの大生産地であり日本向けの小麦輸出も多い。冬は零下40度Cとなり我々日本人にはあまり体験したことがない世界である。街を歩いている人が少なく人口が少ないのに驚く。カナダ人口3,700万人、アメリカとの国境に接した各都市に殆どが在住している。北部は過疎の未開地。地面を掘れば何でもありそうなうらやましい国である。 久し振りに日本食にすること決し電話帳で町一番の日本食堂に行く、日本酒熱燗に各自それそれ好きなものを食し満足、味はマーマーだった。亭主も従業員も日本人でない寂しい限りである。ウィユニペッグ着16時半、だが時差1時間あるから8時間走行、約550㎞。

6月9日(日)マニトバ州ユニペッグ8時サスカチワン州スウィフト・カレントへ出発。道路も良くカナダ大陸横断国道1号線を西へ直進。目的地到着16時。時差1時間調整。街道は車の往来も少なく乗用車僅少トラックの数が多い、大型トラック2台繋げて走行しているのもあり驚く。途中は何もなく景色も何時間走っても同じ畑のみ遠くまで全くの平で地球が丸いのが判る。走行距離約700㎞。止まるところも少なくスーパーで昼食購入。道路標識も少なくガソリン・スタンドもめったにないのでガス切れに注意。

6月10日(月)サスカチワン州スウィフトカレント9時アルバータ州カルガリー到着15時15分。時差1時間調整。約450㎞走行。景色はほとんど変化ない穀倉地帯。カルガリーに近ずくと牧場が多くなりブラック・アンガス(黒毛牛)の産地で有名、肉は日本・アメリカ他国に大量輸出されている。道路脇から小リスがしょっちゅう飛び出しており至る処に死骸が散乱している我々もよけようがなく数匹は天国に送った。合掌。この道路名前を付けて、ブラッド・ロードとする。鉄道が道路とほぼ並行して走っている、客車は見なかったが長い貨物列車が数十分毎に東西に走っている。1列車131貨車で40フィートだから全長は1.5㎞、こんなのに踏切で出会ったら5分は待たされることになる、クワバラクワバラ。トランス・パシフィックはコンテナーが船で西海岸の港に到着、貨車に乗せられてはるか東海岸の大都市および南に下がって米国の大都市向けの貨物を配送している。東から西への荷物は主に穀物などの一次産品である。この輸送方法のほうがパナマ運河経由船便より早く安いと船会社の職員が語っていたことを思い出す。道中景色に変化なく何もない面白みのない街道だった。いよいよ大都会カルガリーに到着、夕食は市内一番の評判の高級レストランに行く。此処は学習院大学/ 昭和30年ご卒業・安藤哲夫(ポール)氏に紹介してもらったレストラン、本日は背広を着て夕食会に出向くさすがに味も上々、従業員もしっかりしており上級のサービスを受けて大満足。安藤氏は元カルガリー在住、現在はバンクーバー在住で学習院バンクーバー桜友会元会長で非常にお元気です。カルガリーは1988年の冬季オリンピック開催地、アルバータ州人口最大の街で世界の大手石油会社が進出しており米国の石油のメッカ・ヒューストンに匹敵する街で石油と共に肉牛が有名な好景気・近代都市。ガソリンが安くリッター70円。因みにバンクーバーでは約105円。産地ならではの安値価格でビックリ。

6月11日(火)旅行も後半となり油断せず慎重な運転に心がける。カルガリー発8時、ヒントン着22時ごろ到着宿泊。途中はバンフ/レイク・ルイーズ/ジャスパーを経由する。カナディアン・ロッキーの背骨を観光しながらゆっくり進む。阿蘇はこの地訪問初めてで心底驚いた。雄大な景観は言葉では言い表せない、それこそ3千メートル級のガガたる切立った山並みが続き至る処に氷河が垂れ下がっており一度は訪ねてみる価値はあると思う。カルガリーからバンフに2時間で到着。ヨーロッパの古城を真似た作りで有名なバンフ・スプリング・ホテルで10時のお茶でも飲もうとホテル内のレストラン探したが館内は人が多く何処もここもイモ洗いのような状態で諦め便所を使い、隣接したバンフ・スプリング・ゴルフ‣コースで茶を喫する。このゴルフ場は夏場の日の長い時には午後11時のスタートも出来ると聞いていたが、高緯度で白夜の状態で成程と納得。グリンフィーは最盛期で18ホールC$235(約¥16,500)。バンフにてカナダ・スタイルの昼食、余り気に入らない。バンフ出発13時レイク・ルイーズへ向かう。1時間。湖水は金属が溶けているため緑色で周りの景色を映して美しい。此処も観光客が多くパーキング場も満員、我々のグループに膝が故障している服部さんがいるので係にハンディキャップがいると言ったら直近のハンディキャップ用の空きスペースを提供してくれて有り難かった、帰ってきたら別の係がハンディキャップ者のカードは?と聞くのでレンタカーだから持ってこなかったと言い訳したら今回だけは許してもらった。ジャスパーまでは3時間の道のり。途中は切立った山並みと氷河を見ながら進む。日本では見られない景色であるほとんどが3千メートル級の山並みである。この道の両側はいたる所に有名な氷河がある。*註:「コロンビア氷河はその中でも最大で東京都の面積より広大な広がりを見せている。この氷河から南へ米国ワシントン州経由、太平洋に至るコロンビア河、東は大西洋に進むサスカチワン河、北に向けてアサバスカ河となり北極海へ流れ其々の源流となっている世界的にも気宇な氷河である。30年前吉田さんが来たときは氷河の先端はハイウェイの傍迄来ており手で触れることも出来たそうだが現在は遥か1.5マイルほど奥まで後退している。これも地球温暖化の結果である」
道は片側一車線で対面交通、キャンピングカーが多く追い抜きにひと苦労する、夏の最盛期にはさぞかし道路渋滞となるだろうと気苦労する。ヒントン到着夜の22時だがまだ明るい、草臥れたのでホテルの部屋で購入済みの食料とスープ&サラダで夕食。デザートはアイスクリームとコーヒで満足。即就寝。

6月12日(水)ヒントン出発8時、ブリティシュコロンビア州(BC州)ケロウナ着15時。 時差1時間調整。ジャスパー経由カナディアン・ロッキーの西側に差し掛かる。山並みは少し丸みを帯びており東側の山を削いだような山容と違う。途中ロブソン山がある、標高3,945メートルで上半分は雪と氷に覆われて氷河は強風を受けるためか上下でなく横に流れて垂れ下がっている、見て呉れの良い山で道路直脇に堂々と聳えている。道は2千メートル級の山並みを割り綿々と続く下り坂。丁度ロッキーとキャスケード両山脈の間を車がひた走る。この辺りも食料の生産地で牧畜、畑が延々と続く、アイダホ・ポテトは南隣の米国内の州でここでもジャガイモの生産が盛んと思われる。オカナガン地区はブドウ生産も有名で良質ワインが醸造されている。
途中は木材・製紙業の盛んなカムループス経由ケロウナに到着。街道筋にはこれと言ったレストランも無く結局昼食はスーパーに立ち寄り食べインする。寿司もあり満足。とにかく街道筋にはジム・ホートンのドーナツ、アメリカのマックドナルド、サブウェイサンドイッチしかなく我々の口には合わない。オカナガン湖は東西5㎞、南北135㎞、オゴボゴの怪獣が生息しているとのことである。此処はバンクーバーの後背地であり観光・休養地で老後を過ごす人が多いとのこと。夕食はタイ料理、湖畔の瀟洒なレストランでゆっくり楽しむ。大満足。

6月13日(木)ケロウナ発9時、途中ハリソン温泉経由バンクーバー郊外のバーナビー到着、夕刻18時。途中のハリソン温泉で水泳パンツで温泉プールに浸かる。いい湯で湯治にはよさそうだが、パンツ履きだとどうも気分が乗らない。時間が早くて若い女性の姿なく老夫妻が2組。服部さんはプールの中で歩き易いのか膝関節痛の治療に効果があるのではないかと思われる。約45分ほどで切り上げるが温泉効能書きもあり日本の日帰り温泉気分を少し味わう、入浴料C$ 15 。バンクーバーのホテルは何処も混みあっており値段も割高の為、吉田さんが高級コンドを探してくれたのでそこに3日間投宿する。2LDK の25坪ほどの高級コンドでベッドと簡易ベッドあり、台所用品食器全て揃っており快適である。5階にあるので自分たちで勝手にチェックイン、厳重な防犯がなされており安心。夕食は近くの日本食料品店で材料を購入し、吉田式すき焼きで満足。夜間の五老爺のトイレ使用が頻発その都度目が覚めるのが少々困った。

6月14日(日)本日は鮭釣り。今回のハイライトの一つである。朝8時から市内の船付場から我々5人の貸し切り高速ボートで出発。ドックを出て約1時間、途中でカニ捕獲籠を3ヶ所に沈め帰りに引き上げることとする、豊漁を祈る。エサは骨付き鶏肉。ジョージア海峡の入口付近まで行き釣り開始。なかなか当りが来なくて心配するが45分過ぎから次々に竿に当たりが来て目の下60㎝のキングサーモンを釣り上げる。残念ながらシーズン解禁前でキャッチ・アンド・リリースとなる。その後さらに1時間沖に出て底魚を試す、30分ほどで大きな引きが来て釣り上げるとリングコッドで目の下1メートル、この魚は持って帰ることとする。時間は15時そろそろ帰港することとする。途中でカニ捕獲籠3個引き上げ、メスと小形のものは海に返すも6杯の釣果となった。リングコッドは船長が3枚におろして持ち帰る。幸い波静かで誰も船酔いもせず安全で楽しい一日だった。夕食はバーナビーの丘の上の高級レストランで吉田さんの送別夕食会開催、服部団長に費用ご負担していただき有難く感謝。なかなかこじゃれたレストランで眺めも良く満席で料理も上々だった。吉田・寺・阿蘇は地場のオカナガン・ワインをたしなむ、服部・赤塚さんはジンジャーエール。コンドに帰りカニを茹でる。就寝。

6月15日(月)吉田さんシアトルに帰国日。朝8時半に安藤邸に呼ばれており純日本食の接待を受ける。奥様の手料理で素晴らしくカナダ旅行の最後を締めるのには最高のもてなしを受けた。お土産は昨日釣果の茹でカニとリングコッド半身。場所はバンクーバーの一等地イングリッシュ・ベイを望む高級マンション。ここで学習院バンクーバー桜友会の開催をさせてもらっている。奥様は川村女子大ご卒業。お二人はご卒業後すぐに結婚アメリカ・カナダに渡り成功をおさめられた、お二人ともすこぶるお元気でそのお年には見えない。9時半に失礼して吉田さんを空港に送る。昼食はロブソン通りの魚料理やでクラムチャウダー、クラブ・ケーキとサンドイッチなど、味は上々、量はカナダ超盛で半分持ち帰りする。午後は街中見物ライオン・ブリッジを渡りキャピラノ・サスペンション橋を見学に行ったが人が多いのと往復1時間の遊歩道公園の為取り止め。夕食は昨日のカニとカレーライス、果物のデザートで満足。就寝。

6月16日(日)朝からコンドの掃除、ごみ捨てなど元通りにする。その後チェックアウトして服部・赤塚・寺さんを空港近くのホテルに送りチェックイン。阿蘇は車を空港で返却、総走行距離6,680㎞。バンクーバー市内から初めて汽車利用シアトルに向かい無事到着。

6月17日(月)日本へ3人出発。皆様ロータリアン。服部氏は柔道部の先輩OB会元会長。

今回のカナダ旅行に参加できて非常に感激感謝します。事故も無く皆様体調も崩さず何とか重責を果たせました。有難うございました。吉田さんには特に感謝です。彼は阪大理学部卒業、理学博士現在はシアトル郊外のベルビュー市で食品コンサルタントJTC International自家営業中。小生とはシアトルでのゴルフ仲間。

<バンクーバー桜友会関連記事>