関西桜友会 平成31年3月度 二木会開催報告

 

1. 日時         2019年3月14日(木)

2. テーマ 「関西弁の謎を探る」

3. 講師        都染直也氏 (昭和56年 国文)

                    甲南大学 文学部日本語日本文学科 教授

4. 出席者     21名

講話の要旨

関西弁はすべて同じ高さ、高い音で発音することができる。東京弁は、アクセントが最初の音と次の音は高低が異なる(例えば、ニワ、カタチ、ナミダ)が、関西弁は平板的な高い音を続けることができる。一方で、同じヒが、中国語のように発音されることもある「比(第一声)」「火(第二声)」「火貸して(第三声)」「日(第四声)」。

 

関西の三都(京都、大阪、神戸)の『ことば』は違う。「書く」の敬語は、京都・大阪では「ハル」を使うが、神戸方言は「テヤ」になる。その打消しの接続もそれぞれ「ヘン」と「エン」になる。同じく、「東京」や「十」のアクセントや人がイテル」と「人がオル」と表現することも京都・大阪」と神戸では異なっている

 

伝統的な関西弁は、「音声、語彙、語法」などがテレビの影響で変遷し、若い世代ではほぼ消滅している。日本語方言は、東京式、京阪式、無アクセントに大別されるが、京阪式と呼ばれるアクセントは30年もすると絶滅することが予想される

 

グロットグラム(地理年代言語図)で大阪~姫路間を確認すると、『買った』は低年層「カッタ」、中・高年層「コータ」一方、中・高年の「カッタ」借りた』のため、「カッタ」が同音異義語となる。しかし、東京の『買った』の「カッタ」とはアクセントが異なり、いわば新しい方言が生まれたことになる

 

中国、近畿、北陸西部において、『(バスが)来ない』をグロットグラムで見ると「コン」「コラン」「コーヘン」「キエン」「キエン」「キーヘン」「キーヒン」「ケーヘン」「クレヘン」など日常的基本語形ではあるが、地域差、年代差が見られる

 

関西弁の未来は、首都圏の影響を受三都の『ことば』の差異が小さくなるが、首都圏のことばも変化を続けながら広がりつづけている。

以上

 

今回は年度末ということで、大阪から出られることが決まった方がおられ、ご挨拶がありました。必ず来阪の機会を作り、遊びに来てくださるとお約束して下さいました。また、久しぶりにご参加の方がご婚約報告をされ、昨年大学を卒業したばかりの初々しい桜友会会員の方が来られ、大変盛り上がりました。

 

 

 

関西桜友会 平成31年2月度 二木会開催報告

(1. 日時        2019年2月14日(木) 18:30〜20:40

2. テーマ 「見え難い未来?日本企業に必要なイノベーション創出を考える」

3 講師         村井啓一氏 (昭和46年院化)

                     学習院大学大学院卒業後、キャノン入社。複写機、プリンターの研究開発、その他多くの新規事業創出の失敗と成功に関わり、材料技術研究所長を務められる。定年後、技術、研究開発アドバイザーとして多くの企業向けに各地で講演をされておられる。

4. 出席者 27名

講演の要旨

日本企業に必要なイノベーション創出を考える

・戦後70年間、日本の企業社会は政府の護送船団方式のもと、電化社会の高 度成長を築き1985年には「ジャパン・アズ・No1 」として世界の先頭に立っ た。ところが、1990年のバブル崩壊後、最近では売上高営業利益率がアメリ カの平均8%に比べ4%と世界でも低く、全産業の国際競争力も北米企業の1 /3ま で落ちている。

・グローバル競争下では、①韓国・中国・台湾等のアジア企業と新興国に薄型テレビ、パソコン製品で価格競争により利益率が低下し、②横並び競争及びデフレから撤退を止むなくされ、③広い分野における事業の選択と集中が求められる。

・日本が競争力を回復するには、①特許で差異化されたイノベーションが必 要となる。②新しい時代変化の中で事業ドメインにシフトが起きている。サイ エンスマップ2016などに観ることができるように、医療・ライフサイエン ス分野や化学・新材料分野が近い将来の事業ドメインの中心になりつつある。 ③それらのイノベーション 技術を基に5G, AI&ICT活用、 IOTの普及、 第4 次産業革命への戦略が 必須である。

・日本企業は、サイエンスが個人・企業・社会・国家・地球・宇宙的ニーズ を解決できるように、R&D戦略を創出する人材と組織風土マネジメントを育 成する長期創業型事業を前提とすべきである。

      本年から二木会の幹事が新しいメンバーに変わり、若手5人(自称)で引き継がせていただき、皆さまの前でご挨拶させていただきました。この日は、ちょうどバレンタインデーでしたので、女性幹事3人から気持ちばかりのチョコレートを皆さまにプレゼントさせていただきました。さらに、本当に若い平成20年代卒の方がお二人初めて来てくださり、嬉しい一年のスタートとなりました。

関西桜友会 平成30年12月度 二木会開催報告

平成30年12月度の二木会を次の通り開催致しました。

1.日時    平成30年12月13日(木) 18時30分~20時40分
2.テーマ  「論語を読む」
3.講師    阿波田時彦 氏(昭和38年大経済卒)
            早稲田大学大学院経済研究科修士課程修了 学習院大学経済学部助手、出版社を経て、現在、フリーのライター。 
        (ペンネーム:宇田川 一彦 氏)

4.出席者 26名

講演の要旨
 
「孔子」は紀元前551年生まれ中国の哲学者で、「論語」は弟子たちが教養や道徳に関する孔子の論評を記録したもの。20編、500章から成る。「論語」は、江戸時代に朱子学として伊藤仁斎や荻生徂徠によって研究された。

 講師は、小中高生から「論語」に浸り、お気に入りの論語をいくつか紹介された。①<・・割不正不食・・>「孔子は割目が正しからざれば、食らわず」②<・・君子以文繪友、以友輔仁・・>「君子は文をもって友と会し、友をもって仁を輔く」③<子白、未之思也、夫何遠之有哉・・>「先生は言われた。真実恋をしているなら家の遠さなど気にならないと。」④<・・子在川上白、逝者如斯夫、不舎昼夜・・>「先生は川のほとりで言われた。過ぎ去るものは川の水のように、昼も夜も、一刻も止まらず過ぎ去る。」⑤<・・子白、徳不孤、必有鄰・・>「道徳は孤独であるはずがない。きっと同類を周辺に持っている。」

 また、講師の独協高校時代の同級生で落語家の古今亭志ん朝氏の落語「厩焼けたり」や、講談の題材になっている「高田馬場(院内の血洗の池?)の仇討ち」にも論語からの引用が見受けられる。

 日本文学者では、漱石・志賀直哉・谷崎などが論語を愛した。「論語本」として英文では、”Confucius The Analects PENGUIN CLASSICS 2014”を、日本語では、貝塚茂樹や吉川幸次郎の文献を推薦する。旅のついでには、「孔子廟」や論語の聖地とされる湯島聖堂、足利学校、庄内藩校致道館などなど日本の10か所を訪ねていただきたい。

(文 新道正雄 講師加筆)


学習院大学構内にある輔仁会館名は、前述の<・・君子以文繪友、以友輔仁・・>「君子は文をもって友と会し、友をもって仁を輔く」(紳士は文化の生活によって仲間を集め、集まった仲間によって、それぞれの人道を増進する。論語・顔淵第十二―24章)に由来するとの解説であった。

(文 木口久喜)

佐々木宏氏(昭和45大経済 写真左)から講師へ記念品の贈呈

会の終盤に全員で院歌を斉唱し、平成30年を締め括った。

 

関西桜友会 秋季親睦ゴルフコンペ開催報告

関西桜友会秋季親睦ゴルフコンペを下記の通り開催しました。

1.開催日  平成30年11月15日(木)
2.会場   よみうりカントリークラブ(西宮市)
3.競技方法 ダブルペリア方式
4.参加人数 16名

盟友校・成蹊大学から4名の他、和歌山地区の会員にも参加いただき、ゴルフの腕前を競いました。
結果は次の通りです。(敬称略)

【優勝】    吉川千里(昭56経営)
【準優勝】   塩路眞晤(昭45政治)
【第3位】   寺西良夫(昭31政治)
【ベストグロス】塩路眞晤(昭45政治) 82ストローク

天候にも恵まれ意気揚々とスタート

寺西良夫ゴルフ会会長から吉川千里氏へ優勝賞品の贈呈

表彰式、懇親会後に全員で。

 

 

関西桜友会 平成30年11月度 二木会開催報告

平成30年11月度の二木会を次の通り開催致しました。

1.日時    平成30年11月8日(木) 18時30分~20時40分
2.テーマ  「デンマーク留学記とクリスマスオーナメント制作」
3.講師    近藤佳代氏(平成10年大文英卒)
          在学中にデンマーク政府奨学金留学生として短期留学。
       卒業後、デンマーク・スカルス手工芸学校に留学し、帰国後は作品展や教室を開催し、手工芸の魅力を伝えている。
      「デンマークに昔から伝わる刺繍のある小箱」の著者。
4.出席者 29名

(講演の要旨)
大学在学中に通っていた英語学校の第2外国語で、デンマーク語に興味を持ち、
留学してからは手工芸に興味を持った。
現在は松屋銀座等で手工芸の教室を開催。
また手芸雑誌等で作品を紹介している。

デンマークは九州ほどの面積で山がなく自転車王国と言われる。
人口は578万人で世界でも有数の福祉国家である。
ロイヤルコペンハーゲンの陶磁器やレゴブロックが有名。
観光ではバイキングの博物館などがある。

料理「スモーブロー」はサーモン、エビ、肉などを乗せたオープンサンド。
「フレスケスタイ」はクリスマス料理の定番で、
皮付き豚肉のローストに紫キャベツの煮込みとジャガイモを付け合わせる。
その他、デニッシュ(クロワッサン生地のパン)やベリーのケーキもおいしい。

オーフス大学のサマーコース(3週間)を契機に、1998年10月から
手工芸を学ぶためスカルス手工芸学校へ1年2か月留学した。
全寮制(一部通学)で機織り、洋裁、刺繍、革工芸、小箱制作等を学ぶ。
機織りではランチョンマット、マフラー、ブランケットなどを制作。
刺繍は日々の生活の中からモチーフを見つけ、それに合わせたステッチで制作。
時にはワイヤ、綿を使用しながら立体的に表現することもある。

(文 新道正雄、講師加筆)

講演の後半にデンマークならではの「紙で作るクリスマスオーナメント」を制作。

井元俊秀氏(昭和35年大政治)から近藤佳代氏へ記念品の贈呈

関西桜友会 平成30年10月度 二木会開催報告

平成30年10月度の二木会を次の通り開催致しました。

1.日時    平成30年10月11日(木) 18時30分~20時40分
2.テーマ  「旧制高校とパブリックスクール」
3.講師    安西敏三氏(昭和47年大法政卒)
        慶應義塾大学大学院法学研究科にて法学博士号を取得。
        甲南大学教授(専門は日本政治思想史)
        昨年春より甲南大学名誉教授
4.出席者 25名

(講演の要旨)
 旧制高等学校とは、帝国大学に入るためのエリート養成学校であった。第一(東京)から第八(名古屋)までの所謂ナンバースクールと呼ばれた3年制の高校に加えて大正7年の改正高等学校令で公私立も設立可能な7年制高等学校が創立され、官立の東京や公立の浪速、富山、府立に加えて私立の甲南、武蔵、成蹊、成城が設立され、大阪や姫路などの官立の3年制も各地に設けられ、所謂ネームスクールと呼ばれた。学習院も、宮内省所管ながらこの時に他の高等学校と同様となり、8年制ながら7年制を本体とする官立の高等学校の一つと扱われた。旧制高校生は、当時、同年代男子の0.54%、多い年でも0.97%にしか過ぎなかった。

旧制高校はイギリスのパブリックスクールに準えられ、高校によってはそれに範を求めた。その教育は、ウィンストン・チャーチル2世によれば「これ以上の辛苦・屈辱・恐怖はないと確信させて人生に備えさせる学校」として位置づけられていた。寄宿制、下級生への監督制、古典語(ギリシア・ローマの文学、哲学、歴史)修得、宗教学、集団スポーツの奨励などに徹していた。

学習院でも西洋古典や教養が重視されたかもしれないが、履修科目としては他の高校と同様、英・独・仏の語学がギリシャ・ラテン語に代わるものであった。政治・軍への関心は乃木希典の教育に代表されるように、明治期の高校に顕著にみられたが、大正期にはむしろ白樺派に見られるような個性を重んじる教養主義に移行し、安部能成の説く人格主義が広く行きわたることになる。

パブリックスクールが重視した団体スポーツは人格形成のための徳育として旧制高校でも生かされた。旧制高等学校の生活は、東洋豪傑風文化から西洋風文化に変遷していった。西洋流の知識・教養・人格主義が儒学の説く道徳的修養に入れ替わったのである。旧制高等学校で学ぶ知的教養教育は、帝国大学での実学主義教育を経て、社会に出ると卒業現象を見るに至り、教養は単なるアクセサリー化し、時代や社会に対する警鐘の糧に成り得たかは疑問である。教養主義的人格の維持は社会では持続しなかったのが一般的であったのである。

福沢諭吉の手になるものかは明らかではないが、英国のパブリックスクールを経てオックスフォードやケンブリッジの学寮での会食や個人指導を伴う紳士養成教育システムは、確かに高等教育卒業時における学力において米独仏、あるいは日本に比して劣るといえども、卒業後も高尚な気風(ノーブルフィーリング)を培うべく生涯に亘って学び続ける素地を提供しているとのことである。「人と交わるのはこのフィーリングを養成するにあり」が福沢の考えである。中でも学生との会食が持つ徳育を含む教育的効果は旧制の甲南や成蹊に見られ、甲南や一高の校長、さらには学習院の旧制時教授経験を持ち新制時には顧問ともなった天野貞祐が着眼することになり、天野が第3次吉田茂内閣の文部大臣の時に決まった日本の教育における小中学校の給食制度を設ける契機ともなった。

(文 新道正雄  講師加筆)

 講演開始前の会話の中で、安西講師から学生時代の所属ゼミについて質問を受け、川北洋太郎先生の憲法ゼミと返答したところ、安西講師は、川北先生の外書購読を受けられたとのことであった。「カール・シュミット(ドイツの法学者で、川北先生が講義の中でよく引用されていた)ですか?」とお聞きしたところ、ドイツ語で原書を読まれたとのこと。安西講師は昭和47年3月卒業、私は同年4月入学で在学期間に重複はないが、同じ恩師に学んだという共通点があることで急に親近感が増し、恩師が引き合わせてくれたご縁のようなものを感じた。

(文 木口久喜)

 

ご講演中の安西敏三氏

本年5月度の講師・吉村典久氏(大阪市立大学大学院教授・経営学博士 右から2人目)から安西敏三氏へ記念品の贈呈。
本年7月度の講師・河村敏介氏(元住友重機械工業・専務執行役員・法学博士 右)も加わり博士3人が揃った。

 

関西桜友会 平成30年9月度 二木会開催報告

平成30年9月度の二木会を次の通り開催致しました。

1.日時    平成30年9月13日(木) 18時30分~20時40分
2.テーマ  「乃木希典・静子の語られ方―『軍神夫妻』の神格化と『忘却』―」
3.講師    片山慶隆氏(平成11年大文史卒)
                       一橋大学大学院法学研究科博士課程に進学。法学博士。

            修了後は、早稲田大学政治経済学術院助教などを経て、現在は関西外国語大学・英語国際学部准教授。
      専門は日本近代史(特にメディア史)。
4.出席者 27名

(講演の要旨)

 日露戦争の旅順攻略戦を指揮したことで有名な陸軍大将の乃木希典(1849-1912)は、明治時代から現在までさまざまなメディアで取り上げられ、著名な歴史上の人物である。一方、希典の妻で、ともに明治天皇大葬の日に殉死した乃木静子(1859-1912)は、一般的に名前が知られているとは言い難い。だが、戦前期の静子は、「軍神の妻」として神格化され、彼女に関する書籍が少なからず出版される有名人だった。

 静子を顕彰する書籍は、彼女の没後に登場した。静子は、武士の妻として恥ずかしくない最期を遂げた「烈婦」として注目された。彼女は、大将夫人とは思えないほど質素で謙虚であり、誰に対しても優しく、それでいて勝典・保典の二子が日露戦争で戦死した折にも涙をほとんど流さず、毅然としていた「純日本的古武士の妻」と絶賛された。没後1ヵ月にして、非の打ちどころのない神格化された存在となり、日本女性の模範としての静子像が形成された。当時は良妻賢母主義への批判や疑問の声も上がっていたが、彼女を模範として人々の中には、そのような社会風潮を批判し、乱れた社会を改める良い機会として静子の殉死を捉えている者もいた。

 1913年以降は、模範的母・妻としての静子像が定着し、神格化が進んだ。この時期も、婦人参政権獲得運動を批判し、女性はあくまで家庭で役割を果たすことを説く保守的な女性観を持つ人々によって、静子は祀り上げられている面があった。ただ、1909年に静子が満洲を訪れた際、墓碑に息子たちの名前を見つけて号泣したエピソードが紹介され、情にもろい母としての一面があったことが明らかにされた。そして、1929年以降は、乃木夫妻をよく知る人々によって人間味のある「等身大」の姿が語られるようになり、静子像は大きく変化する。彼女は、子どもの教育を心配し、息子が戦死した際には取り乱して、しばらく外出できないほど打ちひしがれた普通の母親だったことがわかったのである。さらに、日中戦争の進展に伴い、母性が強調され、息子思いの母として静子は語られるようになっていく。

 だが、アジア・太平洋戦争後になると、静子を扱った書籍はほとんど出版されなくなる。彼女の生き方は戦後の価値観や時代状況とは合わなかったため、次第に忘れられていったのである。

(文 講師)

ー 乃木希典と学習院について ー

 明治41(1908)年に学習院の目白移転を機に、6棟の寄宿舎が建てられ、開寮と同時に第10代乃木希典院長は総寮部内の一室に起臥し、学生と寝食を共にしてその薫陶にあたったと伝えられている。
 昭和47年昭和寮入寮当初、歌の訓練で覚えた5曲の内、学習院寮歌「大瀛の水の3番目に当時の寮生活の様子がうかがわれる。

 皇城の北目白台  芙蓉八朶(はちだ)の秀麗を 窓に含める六寮(りくりょう)の
 健児三百雄々しくも 朝な夕なに競ひつつ 高き理想をたどるなり

(文 木口久喜)

 

会場の様子

講演中の片山慶隆氏

本年7月度の講師・河村敏介氏から片山慶隆氏(写真右)に記念品の贈呈

 

関西桜友会 夏季親睦ゴルフコンペ開催報告

関西桜友会夏季親睦ゴルフコンペを下記の通り開催しました。

1.開催日  平成30年7月26日(木)
2.会場   神戸ゴルフ倶楽部(1903年に英国人貿易商A.H.グルームによって六甲山上に造られた日本最古のゴルフ場)
3.競技方法 ダブルペリア方式
4.参加人数 17名

盟友校・成蹊大学から3名の他、京都、和歌山、徳島各地区の会員にも参加いただき、名門・神戸ゴルフ倶楽部にてゴルフの腕前を競いました。

連日の猛暑続きにもかかわらず、当日は幸いにも曇天で、神戸の港と街並みが見渡せる庭園のように美しい高原コースでプレイを楽しみました。

プレイ終了後には、表彰式、会食(すき焼き)を行い、ゴルフ談議に花を咲かせ、親睦を深めました。

本コンペの開催に際し、寺西良夫大会会長(昭和31年大政治、今回はご欠席)より多額のご寄付を賜りました。厚く御礼申し上げます。

 

伝統あるクラブハウスを背景に全員で記念撮影。


 

関西桜友会 平成30年7月度 二木会開催報告

平成30年7月度の二木会を次の通り開催しましたので報告致します。

1.日時    平成30年7月12日(木) 18時30分~20時40分
2.テーマ  「裁判員裁判の現状と問題点」
3.講師    河村敏介氏(昭和36年大政治卒)
        住友重機械工業株式会社専務執行役員、日本スピンドル製造株式会社社長を経て
       現在 一般社団法人 関西BNCT医療センター理事 法学博士

4.出席者  22名

(講演の要旨)
裁判員制度は、平成21年(2009年)5月から施行された。本年4月で裁判員裁判は12,951件、参加した裁判員は83,663人となった。裁判員の選出は、選挙名簿から無作為に20歳以上の候補者に調査票を送り、弁護士や自衛官・警察官・国会議員等法律で決められた除外者および辞退者以外の対象者から、「選任手続期日」に出席を求める。

施行以来9年間で「選任期日」に出席した人は310,719人。ただし、出席率は、平成21年当初の84%から同29年では64%と毎年減っている。一方、裁判員裁判による判決件数は11,077件あり、有罪率は97%を占め(大正陪審裁判の無罪率17%との比較)、その内容は死刑35件、無期懲役211件、それ以下の刑罰及び無罪86件となっている。(数字はH30年4月最高裁速報より)

裁判員制度の問題点はいくつかある。
①判決は、6人の裁判員と3人の裁判官が合議し、多数決で決定されるが、必ず最低1人の裁判官の同意を必要とする。
②裁判員栽判の判決を控訴審・上告審で審理するとき、職業裁判官が一審判決(裁判員裁判)を破棄・自判する事案が増えている。一般国民から選出された裁判員の判決を職業裁判官のみで審理し判決を下すのは実質的に国民の司法参加の意味が無くなるのではないかとの疑問が出ている。

事例として寝屋川三女殺害事件(H24・3・21大阪地裁判決)千葉大学女学生殺害事件(H23・6・30千葉地裁判決)。
特に控訴審では破棄する場合は原審に差し戻すのを原則とすべきではなかろうか。
③最高裁も当初の判決で示したように裁判員の参加する裁判体の判決を尊重するためにも刑訴法400条適用を判決か、見解で示すべきではなかろうか。
④長期化する裁判(いわゆる100日栽判)は、裁判員の職務従事日数が大幅に増え多大な負担となり辞退率の増加を助長する(長期事案では、最長207日の裁判もあり)。
⑤裁判員の評議内容には、厳しい守秘義務が課されている(懲役6か月、罰金50万円以下)。しかし裁判員経験者の感想・意見・提言を広く公表するほうが、国民の関心を呼び、生きた裁判員制度の検証を可能とし、良き司法の実現につながるのでは?
⑥わが国では、検察官のみが公訴(起訴)する権限を持っている。その権限裁量は、裁判所の審理事件を独占的に選別できる。国民の民意を反映させるには、出口の裁判員制度と同じく、入口の検察審査会にも裁判官と同じような権限を持つ裁判員と同等の権限を審査員に与え参加させるべきではないか?[検察審査会と裁判員制度の表裏一体論]

最後に、これら裁判員制度を、憲法の基本原理である国民主権の具体的行使として義務であると同時に権利として国民一人一人が支え発展させることが必要と考える。

(文 新道正雄 講師加筆)

中山伊知郎一橋大学初代学長の教えである「学問は一生のものだ。」を自ら実践し、72才で神戸大学大学院に入学、法学博士号を取得されたこと、また、日本スピンドル在任中に社を挙げてJR事故被害者救出に奮闘された際のお話し等もお聴かせいただき、あっという間の1時間であった。
(JR福知山線脱線事故:平成17年4月25日、塚口―尼崎駅間で発生した列車脱線事故。乗客と運転士合わせて107名が死亡、562名が負傷した。)

事故が工場のすぐ傍で起こったため、操業を止めて、約500人の従業員が救出活動に従事。死傷者があまりにも多く救急車のみでは搬送が追いつかなかったため、自社のトラックの荷台に負傷者を乗せて病院まで救急搬送したこと、また事故の際、家族との連絡用にと被害者に貸し出した社員所有の多くの携帯電話が、お礼の手紙や菓子折り付きで全数戻ってきたというお話しには感動した。

(文 木口久喜)

 

会場の様子。
学習院大学、神戸大学大学院共に河村講師と同窓の大阪市立大学大学院教授・
吉村典久氏も出席。(手前テーブルの右から2人目)

本年11月度の講師・近藤佳代氏(左)から河村敏介講師へ記念品の贈呈

関西桜友会 平成30年6月度 二木会開催報告

平成30年6月度の二木会を次の通り開催しましたので報告致します。

1.日時    平成30年6月14日(木) 18時30分~20時40分
2.テーマ  「日本寺の話」
3.講師   北河原公敬氏(昭和37年高等科卒) 関西桜友会会長、東大寺第220世別当、印度山日本寺竺主
4.出席者  35名

(講演の要旨)
インドは、仏教発祥の地でありながら、13世紀のイスラム侵入により仏教徒が激減した(2001年の国勢調査では、ヒンドゥー教徒が81%を占め、仏教徒は800万人で0.8%)。第2次大戦後、ネール首相は「釈尊ご成道の聖地ブッダガヤに国際社会を建設し、数次の世界戦争を経験してきた人類の末永い国際融和と平和の拠点としよう」とするプロジェクトを策定し、みずから率先して各国に呼びかけて廻った。

その仏教八大聖地のブッダガヤ遺跡に、「印度山日本寺」を日本仏教界が創設し、今年開山45周年を迎えた。本堂は、1973年にブッダガヤで6番目の外国寺院として落成した。その運営・維持は宗派を超えて「(財)国際仏教興隆協会」が組織され、諸宗派の若い日本の僧侶が現地スタッフと共に日夜お勤めをしています。北河原関西桜友会会長は、2016年7月に第6代目の日本寺竺主に就任されました。

この日本寺では、30人の現地スタッフとともに社会福祉事業も推進しています。①ブッダガヤ近隣のインド人に、光明施療院が医療・投薬・外来診療を行っています。 ②菩提樹学園は、1977年の開園以来、地元の貧困家庭の子供(定員200人)を対象にした、給食付きの無料教育施設活動をしています。 ③施療院内の資料室は、基幹図書館として蔵書を公開中です。他にも、旅行困難者に対するサポート活動も行っています。

協会としては、現地日本寺における、①駐在僧の募集、②護持会員の募集、③医療福祉事業への支援等の活動サポートを協力要請しています。

(文 新道正雄)

 

講演中の北河原会長

三枝名誉会長(左)から北河原会長へ記念品の贈呈

平成5年卒業会員のリードで院歌を斉唱

関西桜友会 平成30年5月度 二木会開催報告

平成30年5月度の二木会を次の通り開催しましたので報告致します。

1.日時    平成30年5月10日(木) 18時30分~20時40分
2.テーマ  「競争戦略の立案・実施の勘所-「誰に」、「何を」、「どのように」売るか?」
3.講師   吉村典久氏(平成3年大経営卒) 神戸大学大学院経営学研究科 博士(経営学)
                       和歌山大学経済学部長を経て、現在は、大阪市立大学大学院 教授 (和歌山大学名誉教授)
4.出席者 25名

(講話の要旨)
講演では、企業の経営戦略の要諦とビジネスモデルの構築のあり方について、お話し頂きました。
経営戦略と言えない経営指針としては、①売上目標を「単に一兆円」などと提示するもの②新規事業本部の立ち上げなど組織いじり③企業の経営環境及び資源の分析に終始すること④検討委員会の増殖や人材育成プログラムの提案などが挙げられる。戦略立案に際しては多様なアプローチからの検討が必要である。アプローチには例えば、ポジショニングやゲームと呼ばれるアプローチや、5~10年後に必要となる資源の蓄積に繋がる学習アプローチなどがある。

事業コンセプトの構築に際しては、人・モノ・金・情報を6W1Hにあるように誰に(顧客)、何を(価値)、いかに(仕組み)の観点から組み合わせることが要諦である。例えば、テレビ上市後のハリウッドの映画戦略やフィットネスジムに置かれたベンチ等の設置など、自らの商品・サービスが提供する「価値」をうまく捉えての事例にはことかかない。パナソニックの”B to B”ビジネスは「誰に」、つまり「客を選ぶ」ことをうまくなし遂げた事例である。

ビジネスモデルの構築に際しては、ゼロから構築する方法よりも、同業他社または異業種からヒントを得てベンチマークすることが求められる。ジレットの替え刃、コダックのフィルム、プリンターの消耗品、こうしたビジネスの儲けの仕組みには共通性がある。ヤマト運輸の宅急便事業も、外食業界など異業種からのヒントを得て誕生した事業である。
(文 新道正雄  講師加筆)

講演中、「戦略実施に向けて(カリスマ性があれば・・・)」で紹介された、小倉昌男氏の「経営学」が興味深かった。
深刻な経営危機に直面していたヤマト運輸において、価格の厳しい大口顧客から小口宅急便に、全役員の反対を押し切り経営路線を変更した二代目社長・小倉昌男氏の決断力、カリスマ性は素晴らしい。コストがかかる個人相手の輸送はリスクが高く不可能というのが業界の常識だったが、郵便局の小荷物窓口で列をなす光景を見て、一軒がたまに出す荷物ではなく、地域全体として C to C の物量をとらえビジネスを成り立たせるマクロ的視野での慧眼、更に、当時の運輸省の規制行政に風穴を開け全国津々浦々にネットワークを張り巡らせた不屈の精神力はさすがに大経営者であると感じた。
(文 木口久喜)

 

講演中の吉村教授

講演に聴き入る出席者

吉村教授へ記念品の贈呈

全員で院歌斉唱。吉村教授の今後益々のご活躍を祈念しエールを送る。

 

関西桜友会 平成30年4月度 二木会開催報告

平成30年4月度の二木会を次の通り開催しましたので報告致します。

1.日時    平成30年4月12日(木) 18時30分~20時30分
2.テーマ  遺言を使って節税しましょう
3.講師   田中耕司氏 (昭和50年大法政卒)大阪国税局、住友信託銀行を経て、税理士法人日本税務総研 代表税理士
      東京、大阪、名古屋に事務所開設。税理士14名、弁護士1名体制で相続税申告、相続コンサルティング等の業務を展開
4.出席者 31名

(講演の要旨)

相続、遺言、遺留分及び自宅財産の相続と節税策について、お話し頂きました。

相続しても貧乏になる人がいる。①「地価が安く地代を生まない地方の土地」を大量に相続した人(固定資産税の負担だけが生じ、相続前より手元現金が少なくなる。)や、②逆に相続財産が「地価の高い都市部の屋敷だけで金融資産がほとんどない」場合、相続税の納税に苦労して、遺産をたくさんもらっても、お金がない生活が始まる相続人がいる。
遺言は、書き方を学校で習った人はいない。それゆえ、遺言を書く人は増えているが、全く役に立たないポエムのような遺言も珍しくない。遺言は財産明細をきちんと書かなければならないので健康で体力があるうちに書くことが重要。土地建物は住所ではなく所在地や面積を正確に書くこと。誰に何を「相続させる」か、具体的に自筆で書くこと。文末は必ず「相続させる」と書くこと。書いた遺言は専門家に見てもらっておくことが重要。
相続人が相続した不動産を売ったり、物納したりする場合、境界確認を経た測量図があると助かる。使っていない地方の土地は早めに処分を。
余計な税金を払わないためになにより重要なことは、自宅の敷地の課税価額が最高330㎡まで8割減額される特例(小規模宅地)を使えるようにすること。特に「配偶者が先に亡くなっている人」は工夫が必要。生前に子どもや孫に贈与する人は多いが、財産が多い場合は、相続税の税率を確認して大胆に贈与すると効果的。相続時精算課税制度は使わない。贈与は不動産より現金。総じて、ベテランの税理士によく相談することが重要。最近「自称相続税の専門家」が多いのでご注意を。

(文 新道正雄 講師加筆) 

講演中の田中耕司氏 

今回のテーマに強い関心を持つ方が多く会場は満席となった。 

藤森春樹氏(昭和22年高男旧卒・藤森耳鼻咽喉科院長)から講師の田中耕司氏へ記念品の贈呈。
藤森大先輩は91歳の現役耳鼻咽喉科医(医学博士)で、同じく耳鼻咽喉科医のお嬢様とご一緒に姫路からお越し頂きました。