S28高卒 大久保 直重

_中山道という街道がある。江戸時代に整備された5街道の1つで、日本橋から京三条大橋までの533.9km、

その間に69の宿場がある。厳密には守山までで、その先京へは東海道と合流する。

_平成13年4月15日を第1回の街道歩きとし、3年掛けて1宿づつ歩き平成16年3月11日に
京都三条大橋にたどり着いた。その間歴史講師がガイドになり、街道の見所、歴史の勉強と、
そして仲間つくりが出来、楽しい旅をしました。

_以来街道歩き”バカ”になり、日光街道、御成道、奥州街道、甲州街道、例幣時街道と歩き、

今は鎌倉街道中道(なかつみち)を岩槻から二子多摩川まで歩いている。

_街道歩きにはまってしまったのもそれぞれの地で可なり自分史に関わっているところがあり、

写真入で”てくてく歩記”をしたためているが、家族はぜんぜん見ようともしない。きっと私
の亡き後にそうだったのかと見てくれてもいいと思って綴っている。


_この街道歩きの最初に”てくてく歩記”と”きり絵”を作ろうと決め、絵になりそうな所の
写真を撮りまくった。残念ながら写生をしている暇はないので。

_きり絵は前の年の9月頃から始めて、白黒の版画調の表現はなかなか面白く、はまりかけていた。

しかし街道歩きが終わってもなかなかきり絵に着手できなかった。当時は未だオリジナルを

起こすきっかけがなかなかなかったが、街道歩きが終わって1年後に「妻籠宿」を完成させた

ところ、従妹にこれ欲しいと乞われ、これはいけると!と。以来順調に年2~3作るようになった。

 

 

 

_木曾は私の両親が住んでいたことがある。もっとも場所はここではなく、王滝だが、 新婚時代をすごしていた。王滝の古い旅館を学生時代に尋ねたら父のことを覚えてい てくれて、木曾のしゃもじの葉書をお土産 に貰った。昭和30年ごろだった。まだ森林 鉄道があり、乗った。 _その後この街道歩きのほかに大学の実習 で訪問したことがあるので同期会を開き、 何回か尋ねるが、趣があり、いい所。 _きり絵は多分3作目か4作目だと思う。いつもそうだが、気に入らないところが出来て作り直している。

馬籠宿は気に入った構図の一つで、平成18年の秋の国民文化祭出展し、入賞した作品です。

_陰とそうでないところの表現に少し苦労し、妻籠宿の冬の明るい表現にたいし、雨上がりの少し

暗い表現を和紙でかもし出してみました。

 

平成18年6月23日 もの想う旅人 47x62cm

 

(段落替えの一文字スペースが入らないのでアンダーバーで代用しました)