関西桜友会令和元年10月度 二木会開催報告

1.日時  令和元年10月17日(木) 18:30〜
2.テーマ 「即席麺『産業』を立ち上げた人
       〜日清食品創業者・安藤百福に学ぶ」
3.講師  吉村典久氏 (平成3年大経営)
大阪市立大学 大学院教授
4.参加者 21名

関西桜友会の二木会

講話の要旨

 安藤百福氏は、1910年台湾に生まれ、来日後は大阪を基点に様々なビジネスを手がけた。戦後の焼け野原の大阪で食を求める人々を見て「ラーメンを家庭で作って食べられるなら、大衆に喜ばれる仕事になるのでは」と思って事業化を考えた。1948年に食品販売会社を設立する一方、金融機関の経営に請われて参加、それが破綻の憂き目にあう。困窮を極めた百福氏であったが捲土重来を期してラーメンの開発に没頭、1958年に世界初の即席「チキンラーメン」を商品化して社名を「日清食品」と変更した。

チキンラーメンの上市に際しては、『逆算の発想』をとり、「おいしいこと」「保存性」「簡便性」「安価」「安全性」を満たすための必要条件を考案した。ところが、百貨店のデモ販売では好調だったが、値段が高く売れなかった。しかし当時は、中内功氏が主婦の店「ダイエー」を立ち上げるなどスーパーマーケットが台頭を見せた時代であった。そこに着眼して、差別化のポイントとなるProduct/Price/Place/Promotionのうち例えば、当時では異例な、メーカーから直接スーパーに販売するなど、最終顧客との関係を重視する形式をとった。また早い時期からテレビCMや番組スポンサーになるなど、時代の最先端の販売促進に邁進した。

 販売が軌道に乗り出すと、新規参入が相次ぎ、創業者利益を得るため特許侵害と闘うこととなる。しかし1960年に製法も周知商標と登録されると1社だけで成長を見せるよりも、市場全体の拡大を通じた即席麺の「産業化」することを目論んだ。また、即席麺が価格競争により粗悪化して、業界のイメージが悪化することを避けるため1964年にラーメンの食品工業会を設立して業界の健全化にも取り組んだ。こうした百福氏の取り組みは、商品開発に成功し「0を1に」するだけではなく、「1を100に」して「産業化」を試みたものであると評価できよう。

 くわえて販売促進の施策としては、①銀座の歩行者天国で宣伝し、②カップヌードルの自動販売機を24時間事業所に設置し、③商社と提携しアメリカや海外でも市場を開拓している。こうした様々な取り組みも、即席麺の「産業化」に資するものであった。松下幸之助氏は家電を、ヘンリー・フォード氏は自動車を、スティーブ・ジョブズ氏は各種のデジタル機器を、それぞれ一般大衆の間に広めた。彼らは必ずしもそれぞれの業界における最初の発明などをした経営者では必ずしもないが、「1を100に」したことで世の中を変えた経営者である。百福氏もそうした経営者の1人として評価できよう。
以上

 今回は、10月10日の第二木曜日に東京の桜友会の月例会で、我が関西桜友会の畑中世話人が講話されたため、1週間遅れの異例の第三木曜日に開催されましたにも関わらず、多数の皆様にご参加頂きありがとうございました。また、異例の第三木曜日ということで、ご都合がつかなかった皆様にはご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした。
 吉村先生の軽快なお話しぶりにグイグイ引き込まれながら、時々挟まれるここだけのお話が大変興味深く、あっという間の1時間でした。さすが吉村先生、お顔も広くていらして、会終了後に会場でお知り合いの方々にお会いし、大変賑やかなひとときでした。



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