平成30年2月度の二木会を次の通り開催しましたのでご報告致します。
1.日時 平成30年2月8日(木) 18時30分~20時30分
2.テーマ メディアに見る男女共同参画 ~ 明治から現在へ
3.講師 佐伯順子氏 (昭和59年大文史卒)東京大学大学院総合文化研究科 比較文学比較文化専攻博士課程修了 学術博士
同志社大学社会学部メディア学科・大学院社会学研究科 博士後期課程教授
4.出席者 25名
【講話の要旨】
講演では、明治以降、女性の職業進出にかかわる状況と男女平等及び共同参画について、お話し頂きました。
明治維新が成立して、教育改革も重要政策とされた。教育方針としては、今までの身分上の不平等を否定し、華士族農工商において婦女子の就学を重視した。ただ、その女子教育は良妻賢母の養成を目標としていた。
明治38年の新聞記事では、近代の婦人職業として例えば、電話交換手、助産婦、医師、看護師、新聞記者などが新しい事務職、専門職として紹介されていた。男女平等の芽生えからは、教育の機会均等、人権意識の台頭、女性啓蒙の高まり、女性のための婦人医師などが新聞にとりあげられた。一方、富国強兵の下に兵隊の負傷者を支える看護師の社会的価値も重視された。
女性の子育てと仕事の両立は、明治以前の庶民では当然のこととして行われていたが、明治末から大正にかけての「男性一人稼ぎ手モデル」の登場により、専業主婦化が進んだ。その影響により、現在の日本でも、OECD の男女共同参画では114位と後退しており、むしろ明治女性のほうが、自己実現目的というよりも、人間の義務として生計を担い、結婚、出産後も働いていた。働く母についての情報も、明治の新聞のほうが肯定的である。日本社会のワークライフバランスの歪みは、男性の過労死や自殺という男性の不幸ももたらしているので、「働き方改革」により、男女ともに仕事と生活を充実させる社会制度の構築が求められているのではないだろうか?
(文 新道正雄 講師加筆)
明治の新聞を通じて女性の社会参画の実例を紹介頂いた中で、特に、ご主人が司法試験に合格するまで髪結いで生計を支え、弁護士になってからも、自身は仕事を続けた自立心の強い女髪結・愛子さんにカリスマ美容師としてのプロ意識を感じ取った。また、婦人病に悩みながらも男性医師への恥ずかしさから受診を躊躇した結果、症状が重篤になってしまう女性が多いことから、一念発起・猛勉強して女医になった荻野吟子さんも立派な女性だと思った。
(文 木口久喜)
講演に熱心に聴き入る出席者の皆さん
荒西義昭氏(昭和33年大政経)から講師の佐伯順子教授(右)へ記念品の贈呈
全日空OB・森松洋氏(昭41大法政)のリードで院歌斉唱。今回は、東京や山口からも出席頂いた。
出席者全員で院歌斉唱後、中村多加志氏(平3大経営)による佐伯教授へのエールの締めで会は大いに盛り上がった。