第24回経済学部同窓会講演会

第24回
経済学部同窓会
講演会
“靖国神社の今昔”
南部利昭氏(昭33年経卒)
靖国神社宮司
平成17年11月21日(月)於 百周年記念会館

全国に8万社あるといわれている神社のほとんどは、包括法人である神社本庁に所属していますが、靖國神社は神社本庁に所属していません。戦前まで国家の手で運営されていた経緯から、いずれ国家に返すべき神社として、あえてこの神社本庁に所属していないわけでございます。

明治維新の時、戊辰戦争で国のために命を捧げた人達の御霊を慰めるということで、明治2年明治天皇の思召により東京招魂社として始まり、明治12年に靖國神社と名称が変わり現在に至っています。

また、その後の佐賀の乱、西南戦争、日清、日露、第一次大戦、満州事変、支那事変、大東亜戦争等で戦死された御霊をお祀りしています。さらに遡って、黒船来航以降倒れた志士達、幕末に亡くなった人々、安政大獄等国事に尽くした人々もお祀りしており、吉田松陰、橋本左内、坂本竜馬、高杉晋作等の幕末の志士である御祭神を含め246万余柱に及びます。


pg女性の御祭神、児童・生徒も
 

従軍看護婦、沖縄のひめゆり部隊、白梅部隊や昭和20年8月15日以降ソ連が攻め込んだ樺太で任務を全うしながら自刃した電話交換手の乙女達、終戦直前に沖縄からの病院船や鹿児島への疎開船の児童・生徒も沢山祀られています。全国津々浦々に御遺族、戦友がおられて、全国民的に崇敬されているお社で、毎日数千人の参拝者があります。

例大祭は陛下の勅使をお迎えして行うお祭で、神社創立以来皇室と縁の深い神社です。天皇皇后両陛下の御親拝はかなりあり、昭和天皇は54回行幸されております。


pg創立130年記念事業
 

6年前から3つの事業、(1)遊就館(英霊の御遺品や遺書等を展示)の新館の建築と改修、(2)御祭神名簿のデータベース化、(3)参集殿の新築・改築を行いました。御遺族の方が高齢になられたのでバリアフリーにし、エレベーターを取付け、現在は車椅子でも参拝いただけます。

戦後は国からの補助は一切なく御遺族・戦友会からの御奉賛と参拝の方々のお賽銭によっています。しかし、遺族会・戦友会がどんどん消滅し、先細りが心配です。ところが、最近、若い人の参拝が非常に増えました。崇敬奉賛会に若い方が大勢入られるようになりました。面白い現象で、中国や韓国が何だかんだとクレームをつけると、途端に参拝が増え、靖國神社を応援しようという若者が増えています。

pgA級戦犯の問題

靖國神社は勝手に合祀しているのではありません。ソ連は8月15日以降、千島・樺太に攻め込んできて、8月末頃まで戦闘が続いていました。サンフランシスコ平和条約が発効したのは昭和27年4月28日です。連合国と完全に戦争状態が終了したのは国際法上、その日です。未だ戦争状態の中で行われた東京裁判、これは軍事裁判であって、そこで処刑された方々は、戦闘状態の最中のことであって、つまり戦場で亡くなった方と同じなんだという考え方です。これは神社の考えではなく国の考えです。昭和28年国会で超党派援護法の一部が改正され、共産党を含む全会一致で可決されています。国際法上認められない東京裁判といわれていますが、そこで処刑された方々を国内法で救済する、戦死者と同じ扱いをすると、政府が公文書で通達しています。厚生省から、絞首刑になった方々を法務死、つまり法の努めで亡くなったとしています。重光葵、賀屋興宣は釈放後大臣として公務に就きました。「A級戦犯」だった彼らが指導的地位に就くことに何ら批判はなかったのです。

文責 南坊文寛(昭49経)、江島 昭(昭41経)
カテゴリー: 第 24回(H17.11), 総会 タグ: パーマリンク