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【訃報】  元学習院初等科長 近田廣司先生

近田家通夜式 (7)

近田家通夜式 (1)

 
学習院初等科桜友会会員の皆様

 

 

元初等科長近田廣司先生は、平成27年5月8日(金)、97歳で老衰によりご逝去さ

れましたので謹んでご連絡申し上げます。

なお、葬儀、告別式は、下記のとおり、執り行われました。

式次第

三羽正人様(秀櫻会)、見学裕己子様(文桜会)、両名による弔辞を下記の通り拝受いたしました。

弔   辞
元学習院初等科長学習院名誉教授近田廣司先生 謹んで先生のご逝去を悼みこれまでのご指導に改めて御礼を申し上げます。
先生は、昭和一三年青山師範学校をご卒業後、番町小学校教諭を経て、昭和一九年、学習院初等科教諭に任ぜられました。
就任早々弱冠二六歳の先生は、空襲を避けて行われた沼津・修善寺・日光などへの学童疎開に当たり、皇太子殿下(今上陛下)に同行されました。当時を振り返り、先生は「不利な戦局で空腹の極限状態を、生徒と河原のやぶ甘草の葉を味噌汁の実にしたり、蜜柑の皮芋の皮も残さず食べて凌ぎました。冬の入浴時間を、風邪をひかせぬよう就寝直前にしても、部屋に戻るまでに手拭いが凍りつく程の寒さの中で幼い命を守ろうと必死の思いでした。あの疎開時代に子も親もみんなよく頑張り抜いたと思います。」と八月一五日に因んだ「初等科便り」に綴っておられます。
戦後の復興期のご指導は、父母との協力と信頼の下に、物資の乏しいところを知恵を出し合い生活全般に及びました。私の両親は、初等科時代を振り返り、近田先生との出会いに感謝し、どれ程お世話になったかを度々話して聞かせました。
先生・生徒・父母の絆あっての初等科生活でしたし、近田先生も、父母との交流を大変大切になさいました。
先生は正仁親王妃華子殿下、容子内親王殿下の主管、礼宮文仁親王殿下ご在学六年間の学年主任、そして紀宮清子内親王殿下ご卒業時の科長をお務めになられましたが、天皇皇后両陛下とは、礼宮文仁親王殿下、紀宮清子内親王殿下のご父母であられるというお立場で、また硬式テニスダブルスのお相手として、永らくお付き合いをさせていただいたと承っております。
先生ご担当の学年は、昭和二二年卒業の旭櫻会を筆頭に昭和二八年卒業冠桜会、昭和三〇年卒業秀櫻会、昭和三六年卒業純桜会、昭和三九年卒業聖桜会、昭和四五年卒業桜光会、昭和五一年卒業雄桜会、昭和五三年卒業文桜会、昭和五八年卒業敬桜会、昭和五九年卒業萌桜会の十学年に及んでいます。
先生は、各学年の集りに快くご出席下さり、病後の養生や、健康維持の秘訣、初等科の様子など楽しくお話しされたそうでございます。昨年三月には、学習院初等科桜友会創立式典にご出席いただき、懇親会の冒頭、初等科の発展を期して乾杯のご発声を戴きました。
昨年五月の私共昭和三十年卒業秀櫻会では、ご自身の歯が十八本あることや、ご自宅の井戸の自慢話しで盛り上がりましたから、今年も先生のご都合が許せばお目に掛かれると期待しておりましたのにまことに残念至極でございます。
先生は、いつも、何時までも、全身全霊でご指導下さり九七歳迄現役の教育者として頑張り抜かれました。頑張ると申し上げても、先生のご指導は優しさ慈しみに満ちており、近田流の工夫を凝らした具体的な内容でした。初等科長の時代には、緊急案件・重要案件に対応できるよう、四谷から目白への定期券を独自に購入なさり、毎日でも本部と折衝できる態勢で臨まれました。             ご自身に対して厳しい先生が、周囲には、どうしてあのようにお優しいのでしょうか、幾つもの病をどの様に克服され、また病とどの様にして折り合いをつけられたのでしょうか。
昭和三十年三月、初等科卒業間近のある日、先生は黒板に「自彊不息」と大きく書かれて  「中国古代の易経に由来する言葉です。
たゆまぬ努力を続けることが大事です。」と仰ったようでしたがその時は只々弓偏の難しい字に圧倒されてしまいました。
ときに先生は三七歳でいらっしゃいました。先生は、ご自身が自彊不息、たゆまぬ努力を以って私どもにお手本を示されました。
私どもは、これから、先生の教え子であることを誇りとして、先生のご温顔を偲びながら、自らたゆまず努力することをお誓い申し上げます。
近田先生、どうか安らかにお眠り下さい。
平成二七年五月一六日
学習院初等科昭和三〇年卒業
秀 櫻 会 三 羽 正 人

弔辞

近田廣司先生、謹んでご逝去を悼み、生前の温かいご指導に対し、あらためまして、
心より感謝申し上げます。
近田先生、先生にお導き頂きました日々が大変懐かしく、昨日のことのように思い出されます。初等科一年生としてスタートしてから、今なお、皆が愛してやまない、あの格別な
笑顔と共に、一つ一つのお教えが本当に有り難く、豊かな日々を過ごさせて頂きました。
特別に印象に残っておりますのは、先生のとても温かい「手」。嬉しい時、悲しい時、心細い時、どこにいてもすぐ先生のところへ飛んで行き、手を握って頂くと、喜びが増し、不安が去り、スーっと気持ちが落ち着き、身も心も安らぐのです。幼な心にそれが、本当に不思議でした。また、私たちは、先生に、褒められて、褒められて、自信をつけて頂いたおかげで、何事にも前向きで進むことができるようになりました。
私の長い髪の三つ編みがほどけたとき、直して下さったり、遠足のバスの中で、乗り物酔いの心配をしている私に、気分転換に話しかけてくださったり、運動会のリレーの練習で放課後に何度もバトンの渡し方をご指導くださったり、、、先生との思い出は、まだまだ語り尽せませんが、最後にお目にかかりましたのが、昨年三月の初等科桜友会設立総会でした。車椅子にお座りになり、素敵なセーターを着ていらしたので、「奥さまがお編みになったものですか?」と伺うとニコニコなさり、「そうだよ。いいでしょ!」と嬉しそうにおっしゃったお姿が、大変印象に残っております。
近田先生は、このご生涯を学習院初等科のため、ひいては、学習院全体のために尽くされ、数々のご功績を残されました。それらは、温かい格別の笑顔と共に、私たちの胸に永久に生き続け、大きな指標となっていくことでしょう。
天寿を全うなさいました先生のご冥福を心からお祈り申し上げまして、お別れのご挨拶とさせて頂きます。

平成27年5月15日
16日

文桜会  見学裕己子