去る平成27年6月20日、学習院大学にて、法学部同窓会総会が開かれました。
講師にテッド・Y・フルモト(古本喜庸)氏をお迎えしての講演会、引き続き行われた南国酒家での懇親会と、学生を含む多数の参加者のもと盛大にとり行われました。古本氏の講演は聴衆を魅了、涙する人も出るほど感動的なお話でした。
平成27年度法学部同窓会総会・講演会
講師 テッド・Y・フルモト(古本喜庸)氏 昭和47年法学部法学科卒
昨年映画化された「バンクーバーの朝日」の著者
演題「バンクーバー朝日軍・伝説の日系人野球チームその歴史と栄光」
テッド・Y・フルモト氏 講演要旨
1887年太平洋定期航路が、香港―横浜―バンクーバーで開通します。
日本は、その頃非常に貧しかったので、政府は、移民政策をとっていました。
しかし、日本人の職場は、林業、漁業、鉱業等、肉体労働しかない。中でも、林業と漁業が主になります。88年漁師は、15人だったが、94年には、日系人の漁師は四千人に達します。
日系人は、勤勉で、真面目なので、白人の3分の1の給料でも、文句も言わず、10時間でも働いている。白人の経営者は喜んで採用します。普通の白人の人達は、仕事をとられるだけでなく、パラダイスであるブリテッシュコロンビア州を乗っ取られるのでないかとますます恐怖を感じます。
そして、1907年9月7日バンクーバー暴動という大事件が発生します。カナダ政府は、暴動をきっかけに、移民を年間400人に制限します。
二世として生まれ、英語を話し、現地の学校に通っても、同じ差別を受けました。人種差別を跳ね除けるために、スポーツをやろう。ルールの中で平等だと、花形だった野球で戦おうと、14年バンクーバー朝日軍が誕生しました。
朝日は、大人の日系人達のチームで優勝した後、19年インターナショナルリーグ(白人)に入りますが、入ったその年にチャンピオンになりました。
しかし、朝日の人達は、カナダ一になりたい。それはマイナーで、その上に、ターミナルリーグがありました。
20年同リーグに加入します。日本でいう企業人野球の一流どころが、揃っていた。実力も全然違いました。朝日の成績もぱっとしません。
そこに、ハリー宮崎が、三代目の監督になります。朝日は、勝ちさえすればいいわけではない。日系人が心から誇りと自信を感じられる勝利でなくてはならない。野球は、単に白人と勝敗を決する戦いの場ではない。日頃、数少ない日系社会と白人社会の交流の場であり、試合を通して、日系人への白人社会の偏見や先入観を正していく場でもあると言い続けました。
26年ターミナルリーグに参戦して7年目ですが、優勝をかけて、戦う決戦の日を迎えます。
この時に、ついに朝日はカナダのチャンピオンになりました。
その後も、朝日は快進撃を続けます。1930年、33年とターミナルリーグ等で優勝します。朝日軍は、カナダ最強のチームと呼ばれました。
この頃選手は、人気アイドル以上で、日系人はもとより、白人でも大変な人気で、子供を入れてくれと、白人の方が畏敬の念をもつほど、偉大な人気になりました。
ところが、1941年カナダ時間12月7日日曜朝の9時半頃、ラジオが、突然重大ニュースを発しました。太平洋戦争の勃発です。
真珠湾攻撃直後、カナダ政府は、日系人を敵性外国人とし、その指導者を逮捕拘禁四十人等という凄まじい処置をとりました。
翌42年日系社会の土台を根こそぎひっくり返す処置をとります。日本の攻撃に備えるという理由で、太平洋沿岸から100マイル以内の地域を防衛地域と定め、日系人を締め出しにかかりました。道路建設の名目で、18歳から45歳の男子を山間部の道路キャンプに、抵抗する者は、戦時捕虜としてアングラー捕虜収容所に送り込みます。家族ごと砂糖大根畑の労働者として、オンタリオ等の各州に送ります。ロッキー山脈の中にある強制収容所は、マイナス30、50度にもなるような不自由なところで、5年間も過ごしたのです。
45年8月14日戦争が終りました。
77年日系移民百年祭が行われました。この時、カナダ政府がとった凄まじい差別の多くの写真が報じられたのです。それを三世が見て、怒りました。抗議の運動をおこします。
88年9月22日、カナダ首相は全カナダ日系人協会に謝罪し、補償し、合意文書に署名しました。
この本を書いた目的は、三つあります。一つは、私の父は、朝日の初代エースピッチャーでした。選手の最後の生き残りであるケンクツカケさんに、活躍した歴史的事実を本に書いて欲しい言われたことです。
二つ目は、今の日本が失いかけている、日本人の心、日本の心を取り戻してほしい、日本人というのは、利他の心です。自分よりも人のために、動作、礼儀、所作、話し方、日本人らしいやり方があります。
三点目は、戦争が起きたら、非戦闘員だった日系カナダ人は、あんなひどい目に、5年間も全財産、全人生を奪われて、大変な苦労をしました。
戦争はしてはいけないと思います。