第18回法学部同窓会総会のご報告

On 2011年9月15日, in 総会, 行事報告, by hougakubu-yoshida

去る7月16日、学習院創立百周年記念会館にて、法学部同窓会総会が開かれました。
講師に佐々木 毅 氏(学習院大学法学部教授)をお迎えしての講演会、引き続き行われた懇親会と、多数の参加者のもと盛大にとり行われました。

平成23年度法学部同窓会総会・講演会

講師 佐々木毅氏(学習院大学法学部教授)

演題「西洋政治思想のユニークさについて」(要旨・抜粋)

 

 西洋政治思想史は、古代ギリシャ・ローマから始まります。その頃に、アジアと西洋の違いが意識化されてきまして、西洋の研究者たちが、西洋とは違うものとしてのアジアが、対の概念として頭にあります。彼らからすれば自分たちと非常に異質なものであるという考え方ですね。で、これが実はこの西洋政治思想史というものの骨格部分をなしているひとつの特徴であります。

アジアの中身はもう適当に変わるんですね。いろいろ変わる。だけど、自分たちはそれとは違うものだという意識があります。違いがいわば視覚化されたのが紀元前5世紀頃と言われております。ペルシャ戦争があり、ダレイオス一世やクセルクセス大王が、100万とか200万の大軍を率いてギリシャ世界に攻め入ってきました。有名なマラトンの戦い、テルモピュライの戦い、サラミスの海戦などがその中で繰り広げられるわけですが、そこでお互いが、異質性、違ったところを自覚する、認識するというところが、話の始まりです。そこで私は政治共同体という言葉を使って、ギリシャ人たち、あるいはやがてローマ人たちが作った政治のイメージというものをお話しします。

ペルシャ人から見るとギリシャ人は変な人たちだと。どうして変かと言いますと、100万も200万も大軍を率いて攻め込んでいるのにさっぱり見えない。100万に対して50万が戦うならともかく、1000とか2000とかでも立ち向かってくるというのは、極めて理解しがたい、不可解な人たちであると。しかもペルシャは大王の下、統率が効いているという体制、ところがギリシャ人たちは自分たちは自由だと言って、大王らしきものも存在しない。そして、死ぬまで戦う。敵に背を向けないで、死ぬまで戦うということを、当然のごとく考えている。他の地域であれば大きな数の軍勢を率いていればみんな逃げて行くのに、どうもここはなんか変だと。どうしてそうなのか、というのが、アジア型であるペルシャの側から見たクエスチョンなわけです。

ギリシャの歴史家ヘロドトスが、このへんのことをいろいろと対話を交えて書いた「歴史」という作品を残しておりますが、そこで、ペルシャの王宮にいるスパルタからの亡命者と大王との対話を記しております。亡命してきた人間は「本当のことを言っていいか?」「ご機嫌を損ねることを言っていいか?」と断ってからいろいろ話を始めた。何よりもこのポリス・・・ポリスとはいわゆる都市国家ですね。都市国家あるいはそこの基本的な共通のルールであるノモス、これは法と訳すとちょっと狭すぎるのですが、法や諸制度あるいは生活態度を含めた意味でのノモスというものを自分たちの支配者と考え、これに対して絶対服従であるということが彼らの基本的な生き方である。従って、大王がいようがいまいが、大王がいるから頑張るというのとは関係なくいわば一種の抽象的な概念、理念と言ったようなものにコミットメントしているということが、非常に大きな違いである。これに対して大王は「なんかよく分からない」と言うわけであります。

再度攻め込んでいき、これも有名なテルモピュライという非常にこの狭いところでの戦いになるのですが、スパルタ王のレオニダスが、三百人のスパルタ兵を引き連れて陣取るわけですね。そこをまた、あの何十万人が攻め込んでいく。ペルシャとしては数を見せさえすれば相手は逃げるんじゃないかという作戦ですが、なかなか逃げない。髪を剃ったり、体操をやったりしているということで、やる気があるのかないのか、まあこんなようなことが縷々書かれているわけです。300人プラスアルファと何十万人ですから、いずれ決着がつき、もちろんスパルタ王と300人はここで死ぬわけであります。戦争を通した出会いが大変面白く書いてあるのですけれども、そこでギリシャ人の作った仕組みというものがクローズアップされるわけであります。これは歴史的に変化していくのですけれども、基本的には一定数の平等な人々からなる共同体でありまして、もちろんギリシャですから奴隷もいるわけで、これは全然別でして、自由な人々、あるいは相互に平等な関係にある人々が中心になって政治共同体を作る。そしてその政治共同体の存続と栄光というものが一番のプライオリティ、優先度の高い目標であると。もちろん、各メンバーは物凄いエネルギーをそこでの政治や軍事活動に注ぎ込むわけで、ポリス、ローマ、栄光、あるいはそのポリスにはそれぞれ神がおりますから神の栄光もちゃんと立てる。個人レベルで言えば、やはり名誉というものが最高であると。他人に、優れた能力を政治、軍事その他、公共の場で示すということ、そして、それが後世にまで伝えられることが非常に大事ですね。死んじゃったら終わりっていうんじゃ、あまり頑張る気力もないわけですよ。だからそうやって、他のポリスというものが存続する限り、歴史が書かれる。記憶が伝えられる、あるいは思い出される。そうするとある種の、永続性、自分の生命の持っている永続性というもの、少なくとも自分の生命が消えると同時に全てが終わってしまうということとは違う可能性が開けてくる。公共の場で目覚ましい働きをすることが、そのための条件です。それなしに、自分が後世に残るということは絶対にあり得ないということであります。

アジアはどう見えるかというと、1人の権力者が他の人々の自由を奪って、極端なことを言えば、ムチで脅しながら、統治をしている体制に近いというようなイメージでとらえられているように見受けられます。ですからアジアは、誰か中心的な人物がいる限りは持っているけれども、この人がいなくなると皆、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまう。共同体を作るという感じとは非常に違う。むしろ、権力者を中心に、さまざまな利害を持って支配という関係のネットワークができているというように、ギリシャ人たちはイメージしたわけです。有名なヘーゲルは「古代においては若干の人間が自由であった」と。で、「近代においては全員が自由であった」ということをいいます。で、「アジアにおいては1人だけが自由であった」、ですね。その権力者だけが自由で、あとはみんな・・・奴隷とは言いませんけれども隷属していたんだ、こういう言い方をします。

若干の人々が自由であった。だから奴隷もいるし、それに女性は少なくとも家の中にずっととどまっているという感じでなるわけですから、決して、今のような仕組みとは同じではありませんが、しかし若干の人間が自由であってお互いに平等であるということは、政治的に見ますと大きなことであると私は思っております。で、このような政治共同体というのは、キツいといいましょうか、名誉を求めてお互いが争い合うという内部構造を含んでいる。他人よりもより多く共同体に貢献したいという気持ちを、いかにしてお互いが競争しながら、高めていくか。競争の場としての政治というのが非常に強い性格を持っておりますから、俗に言うと今度は権力争いが、そこでは日常的であると。

ギリシャ世界の中にソクラテスという変なおじさんが出てきまして、変なおじさんというのは風体が変であること、また、生活態度が変であるということ、広場でふらふらしながらはだしで歩き回ってですね、人々の知的能力を試して、いかにあなたは無知であるかということを分からさせてあげようということをやってるわけであります。結局、名誉を求めて政治共同体の中で泳いでいくというのが人間の姿という、まあそこに尽きるということに満足できるのかと、それが本当の人間のあり方なのかというようなことを、問うようになってきます。そこで彼は、魂という概念を持ち出す。肉体とは違う独立した固有の価値のあるものとして魂を持ち込んできたんですね。そして、実はこれが人間にとって大事なものであって、それに比べると健康とか財産とか名誉なんていうものは、大したものじゃないということを言い始めるわけです。一種の倫理革命でありまして、政治活動で名前を上げて政治共同体のために貢献することに尽きるというような考え方に対して、そうじゃないと。つまり、それぞれ人間が持ってる魂というものをいかに優れた状態に保つか、いい状態に保つか、あるいは魂を傷つけないようにするか、あるいは、神とつながりうる魂というものをいかに育てていくのか、あるいは磨いて行くのかといったようなことに、彼は関心を向けさせようとしたわけです。

この魂への関心というものは政治的観点から見れば、政治から脱出して内面世界、究極の価値を求めようとする傾向を非常にはっきりと示しているわけです。内面へ内面へと向かうと、自分たちが帰属すべき世界が何なのかということが改めて問題となります。非常に特徴的な言葉にコスモポリスという言葉があります。ポリスですから国家です。コスモだから宇宙の国家ですね。これのメンバーになるのが人間の理想ではないかといったような議論が出てまいります。要するに自分のアイデンティティというものを、目に見える世界から剥がして、いわばこのコスモポリスという観念的共同体といったようなものに求めるという考え方ですね。それが行きつく果てにキリスト教世界というものがやがて登場してきます。

キリスト教世界では神という概念がある。コスモポリスというのは神の国ということですね。神の国のメンバーになるかどうか。なれるかどうか。誰がそれを可能にしてくれるのか。あるいは誰がそれを判断するのかというあたりが、政治思想史的にも大変面白いテーマなんですが、私がここで信仰共同体という言葉を使うのは、もうちょっと深刻な意味においてであります。信仰共同体とは何か。信仰を同じくする人間たちだけが、共同体を作れるという考え方であります。一緒に共存していく条件として信仰のウエイトが非常に高くなっているということです。キリスト教と申しましても当時はカトリック教会ですから、普遍的一体的キリスト教世界というものを目指していたわけで、それに入らないグループは異端として十字軍その他を派遣する。その意味で同じ信仰を持っている人々とそれが作る共同体のメンバーになるということが、人間が一緒に生活していく上での非常に決定的な条件であるとなれば、当然のことながら、その信仰の一体性を現実的に保障し確保していく人がいないとならない。観念的共同体ではもはやなくて、目に見えるなかで信仰の共同体というものを作って行くとなると、当然その信仰の管理運営機関が必要であり、責任者が必要になってくるということになります。教会という組織、そして、それを代表するローマ教皇が、この信仰共同体の管理運営責任者になっていき、それに比べて王様とか領主とかが、信仰共同体のメンバーにふさわしくない行為をすれば破門されるということになる。ということは、王様その他に対するいろいろな義務はもはや無効になる・・・ここが非常に大事なわけです。例えば王様がいろいろ約束しても、破門になってしまうと、もはやその約束を守る必要がないということで、経済活動もこの信仰範囲内で基本的に営まれる、それを超えては契約も有効性を保障するものは何も存在しないというような議論も出てくるわけです。そして、信仰共同体のメンバーにふさわしくないと判断されますと、王様であればその地位を奪われるということが起こる。この信仰共同体、つまり信仰を共有する者たちの間においてのみ共同可能である、一緒に生活することが可能であるという議論は非常にユニークであると同時に、これまた大変重い概念です。ですから、宗教改革が何を意味したかといえば、まさに、信仰共同体が割れたということなんですね。そうすると同じキリスト教徒と言いましても、この宗派とこの宗派では意見が違うということになれば一緒にやっていくことができないということになります。迫害したり、あるいは殺し合いをしたりするという血なまぐさいところにつながっていくということもある。つまり、教会の中に国家があるという状態でありまして、国家の中に教会があるという構図ではないということであります。教会の中のパーツとして国家と呼ぶべきものがあると。そして、ローマ教皇はあらゆることについて、カノン法に基づく裁判例を持っている。人間のなすことやることすべて人間の魂のなせる業であると。人間の魂を管理するのが教皇の仕事でありますから、離婚はもちろんのこと、戦争ももちろんその魂のあり方にかかわるものとして批判されたり介入されたりする材料になるわけで、特に教会の財産に税金をかけようなどと考えると大きなトラブルが発生するということになりまして、やがてそのへんがこの信仰共同体の限界として出てくることになるわけです。(以下、略)

 

 

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