会長からのご挨拶

aomori本州最北端のここ「みちのく」の地では、白神山地、十和田湖などの自然美はもちろん青い空の下、田植え時の若緑から秋軌の収穫の瑞穂の黄金色、里山には真っ赤なリンゴがたわわに実り、四季のきらめきがいたるところでゆったりと演出されています。
人々も自然の時の流れに任せ、ゆったりしています。桜と弘前城とお岩木山。天守閣で一献傾ければ、春宵値千金。
桜友会の皆さま、ゆったりとおいでになりませんか。お待ちしております。

「世代も地域をも超えて」

人口30万足らずの地方都市に住んでいてさえ、朝出掛けてから帰るまで、一日一体何人の人々とすれ違ったり接触したりするでしょうか。まして都会では尚更でしょう。満員電車やバスの中で、袖振り合うも他生の……など感じてもいられず、隣り合せて坐った人も立ち並ぶ人々も通りですれ違う人も人・人・人の姿は自分にとって単なる風景に過ぎないのが普通です。
そして自分が所属する組織なり生活圏なりで括られた枠の中で接する人々だけと時や空間を共有しているという意識を持って暮しているのですが、たとえば職場で、たとえば子供の学校のPTAで、町内で、団地の中で、直接または間接的に関わり合う人々のうちの何人の人に、心からの安心や信頼を置いて接しているかと言えば、その数はごく限られたものであるはずです。利害が絡んだ関係は、幾重ものベール越しに一側面だけを向け合っている事が多いのですし、利害を差し挟まない場合でも、昨今のような不穏な社会状況では、恐る恐るのお付き合いだったりもするのです。
単身赴任で一時期青森桜友会に在席なさっていた方がおっしゃっていました。
「大抵2~4年周期で転勤するでしょう。その短い期間に仕事関係の外で誰かと知り合うというと、その土地の様子が分らないのでどうしても警戒心が先立つのです。家族一緒だと交友もそれなりに広がりますけれど、一人だとなかなかね。するとね、この地に桜友会の人は居るかなと思うわけです。とりあえず学習院の卒業生は、そういう点何故か安心感があるというか、そう危険を感じずに済むものですから……」
この話は、成る程ととても納得がゆくものでした。それが桜友会の一番の特色かもしれないと思いました。世代を超え、地域を超えても、桜友会という一括りは、常に安心と信頼の束ね、今の世の中で真に貴重な絆だとその時改めて気付かされたのです。